レオ・レオーニ 希望の絵本をつくる人

レオ・レオーニ 希望の絵本をつくる人

レオ・レオーニ 希望の絵本をつくる人

レオ・レオニ展で感銘を受けたので、上の本を図書館から借りてきました。作者は1996年に板橋区美術館でレオ・レオーニ展を開催した際の担当学芸員さんです。
この展覧会のためにレオニは4回目の来日を計画していましたが、パーキンソン病薬の副作用で体調が悪化し、直前にドクターストップがかかってしまったそうです。来日したら、谷川俊太郎さんと対談したり、地元の小学生とワークショップをしたり・・・と予定が沢山ありましたが、急遽変更。対応に追われている作者の元に届いたレオニからのファックスレターが素晴らしかったです。来日できないことを詫びてから、その代わりに何ができるかを病床で考えていたのです。結局展覧会オープンぎりぎりのタイミングにレオニのイタリア(トスカーナ地方)のアトリエや庭で撮影したビデオ作品が届いたそうです。
レターの末尾を書きぬいておきます。
 日本に行けないということのほかに、それほど深刻なマイナス点は見えません。これを書いているうちに、あの大きな黒い雲は、ゆっくりと空を横切っていきます。マイナスの点もプラスの点もこうしてすべて書き終えたいま、わたしの胸はもう希望でいっぱいです。わたしの身体がわたしだけでなく、みんなに迷惑をおかしてしまったことを、どうかお許しください。お返事お待ちしています。

板橋区美術館でのレオ・レオーニ展は今も強く心に残っているのですが、そのビデオは見なかった〜(涙)かえすがえすも残念!

さらに書きぬき・・・縮みゆく日本で上機嫌で退却戦を生きのびるために・・・子どもたちとともに希望を持ち続けるために・・・

わたしの人生は波瀾に富んでいましたが、そのおかげでいくつもの遠い岸辺に導かれました。一見まったく異なって見える国であっても、その奥深くに必ず自分と共通するところをすぐに見つけ、行く先々で自分も彼らの仲間なのだと感じることができました。
こうして、わたしは次のように考えるようになったのです。
「どこに行っても人間は、芸術という活動を通じて生活全般に関わることができ、自分の考えを多方面にわたって応用したり、どんどん変革し続ける能力を持っている。
そればかりではない。人類とは、もともとひとつのとてつもなく大きな家族であって、外国に行くということはようするに、いままで会ったことのない遠縁の者に会いに行くのと同じことなのである。
そして別れのときには、置きみやげとして、ある仕事の影や、色の振動、声の余韻、同意の笑み、そして筆の跡を残していくのだ」と。
レオ・レオニは素晴らしいコスモポリタンだったのですね。