アール・ブリュット展の図録

片づけが苦手で、本棚が末期的ありさまなので、本は極力図書館で借り、買わないようにしているのですが、昨日は珍しく図録を購入しました。

都築響一さんの巻頭エッセイ『源泉の水辺に』の中に引用されていた文章が、アール・ブリュットに心魅かれるのは何故?・・・という問いに対するひとつの答えとして腑に落ちたので、書き抜いておきます。

医学博士 山中康裕さんの言葉だそうです。

僕のイメージで『表現』について考えていることががあります。知的障害者と作家とどこが違うのかというと、意識して自分のイメージと接触すること―――僕の言葉でいえば心の中の落差―――。その落差をたいへんな思いをして下りていき、自分の源泉の水を汲んでくる。それが作家の作品だと思います。ところが知的障害者たちは、すでにその水辺にいる人なのです。いさせられている人たちといった方が正しいかもしれない。

村上春樹も小説を書く時、集合的無意識の井戸に降りる的なことを言っていたような気がします。自分の中のコアな部分へ向かうことが、共に運動性としては沈んでいくイメージなのが面白いな・・・とも思いました。

音楽は飛翔するイメージ。湧き上がるイメージ。この違いも面白いです。