痛切と哀切


4月は気持ちばかりが慌ただしく過ぎています。
朝日新聞の土曜版のシリーズ記事《うたの旅人》が《映画の旅人》に変わっていたことに昨日ようやく気づきました。
13日(土)発行の新聞を木曜日にしつこく読んでいる私も私ですが、小栗康平の「泥の河」は好きな映画なので、保存しておいてじっくり読みました。
小栗監督が助監督として長年仕えた浦山桐郎監督から送られた言葉〈哀切であることは誰でも撮れる、それが痛切であるかどうかだよ〉が心に響きました。小栗監督は「あるポジションが自分にあって、そこから見て可哀そうだというのが哀切だが、痛切は、自分が相手に置き換えられ、そっちでもあり得た、と思う場所から生まれてくる感情」と著書『哀切と痛切』で述べているそうです。
たとえば東日本大震災原発事故に対して、私は今も痛切に感じている?と我が身を振りかえりました。この世の不条理の何もかもをすべからく痛切に感じてしまったら、身も心ももたないとも思いますが・・・。宮澤賢治のような人はそちらのカテゴリーに入るのかな?