大河への道 志の輔らくご in PARCO 2011


昨日東都生協で注文した《志の輔らくご in PARCO》に行ってきました。6時半開演。仲入りが15分。終演はなんと9時40分でした。舞台の上には志の輔さん一人きり。でも、まったく長さを感じさせませんでした。
枕では地デジ化の話をたっぷりしていました。アナログTVの画面に常在するおせっかいきわまりないテロップへの嫌悪感。そもそもアナログとデジタルの違いとは・・・語源的にはアナログは絵でデジタルは指差した先(つまり点ってことかな?)なのだそうです。地デジ化することでどんなメリットがあるの?・・・等々
私もまだ使えるアナログTVを廃棄して、デジタルに対応しなさいとお上に決められたことにすごく違和感があります。TVや新聞で根拠をたいして検証されないうちに、決まってしまったのはTV局は当事者、新聞も系列のTV局を持ってるからなのでしょうか?
最後の演目『大河への道』は龍馬ブームに沸く長崎の話から入って、シーボルト館、そして佐倉の伊能忠敬記念館の話へ。志の輔さんは何気なく入った伊能忠敬記念館で出会った感動から、伊能忠敬を素材にした落語を創作することを決めたのだそうです。立派すぎて落語よりは講談に向いている伊能忠敬の人物像をNHKの大河ドラマに取り上げてもらうべく奔走する千葉のお役人二人の右往左往というフレームに入れて、涙と笑いで語りきる構成の妙には脱帽しました。地図は測量による数値(デジタル)が、図(線)というアナログに変換されるものだということが枕としっかり響き合っていて・・・う〜〜んさすが〜と合点しちゃいました。
語り終わった後で、現在の日本地図と伊能図を重ねる映像、伊能図を見せられて英国艦隊が《日本地図を作るから測量させろ》という幕府への要求を取り下げたというテロップが流れました。続いて伊能忠敬が歩いたであろう日本各地の風景の空撮映像が流れました。風景のBGMはサディスティック・ミカ・バンドの『黒船』だったよとつれあいが教えてくれました。伊能忠敬の時代(1745〜1818)から幕末へ、明治へ、大正へ、昭和へそして現在へと歴史はつながっているという感じがしました。

立川志の輔  だくだく
 立川志の輔  ガラガラ
       仲入り
 立川志の輔  大河への道