「サル化」する人間社会

作者の山極寿一教授は次期京都大学総長に選出されたそうです。教授の研究室の学生たちが、「(霊長類研究所の研究の妨げになるから、)総長に選ばないで!」と怪文書を配ったとか。人気と実力を兼ね備えた学者さんなのですね。アフリカ各地でゴリラの野外研究に従事。類人猿の行動や生態をもとに初期人類の生活を復元し、人間に特有な社会特徴の由来を探っているそうです。ゴリラへの畏敬の念と愛情に満ちた文章は人柄の良さがにじみ出ていて、すこぶる魅力的です。

人間の、ことに幼児とそっくりだなぁと思ったところを書き抜きメモ。

 胸をたたいて強さを誇示する行動を「ドラミング」と言いますが、それをしているときも、周りの反応が気になるけれども、みんなのほうを見ちゃうときまりが悪いのでわざと知らぬふりをします。「どうだ!」と胸をたたきつつ、みんなの様子を見たいけれどもあえて見ないでかっこよさを追求する。まるで「武士は食わねど高楊枝」のような行動ですよね。
ゴリラと親しくなってくると、彼らが今どんな気持ちでいるかということは次第にわかってきます。楽しければ飛び跳ねるし、生き生きと動きます。
 ゴリラは笑う事もあります。私を遊びに誘ってくるときは、ワクワクしているのがわかります。瞳が金色に輝いて、キラキラするのです。人間のように泣きはしませんが、悲しければ肩を落としてうずくまり、動かなくなったりもします。見知らぬものに出会ったとき、何かを警戒して、恐る恐る手を伸ばして触れている様子を見かけることもあります。
 ゴリラは感情豊かな生き物です。彼らは言葉を持ちませんから、表現はいっそう直截的です。言葉がなければ相手を騙すこともない。嘘もない。素直な気持ちしか、そこにはないのです。
 調査を始めて1ヵ月くらいで、私はだいたいゴリラの感情が読み取れるようになりました。しかし私が彼らを理解する以上に、ゴリラのほうが私の感情をきちんと読みとっているはず。ゴリラは人間の気持ちを読むことにかけては名人なのです。これもサルと違うところです。サルは人間の気持ちを忖度しません。
 一方、ゴリラは優劣のない社会で暮らしていますから、優劣は態度を決める判断材料になりません。ゴリラは相手が何をしたいのか、自分が何を望まれているのかを汲み取り、どういう態度をとるべきなのかを状況に即して考える。相手をじっと見て、何をしたいのかな、と考えるのです。
 つまり、ゴリラには共感能力があるのです。相手の目を見つめるということは、相手の気持ちの中に入り込むということ。その能力がゴリラ同士の関係性や社会を形づくっているのです。

この本で作者は人間が平和主義的、平等主義的なゴリラ社会よりも、優劣がすべてのサル的勝ち好みの社会に突き進んでいるような気がするという警鐘を鳴らしています。
サルは群れの中で序列を作り、全員がルールに従うことで、個体の利益を最大化しているそうです。
サル的社会は心底イヤだなぁ〜。。。。。あからさまに見えていないだけで、経済競争力重視の日本社会・・・すでにかなりサル的社会に近づいているような気もします。

ゴリラの生息地はエボラ出血熱の流行している場所であり、紛争地でもあります。研究者の方々は大丈夫なのかしら?と心配になりました。