眼にて云ふ


朝日新聞に連載中の《没後80年 賢治を語ろう⑥》語り手は作家の青木新門さん。映画「おくりびと」誕生のきっかけとなった「納棺夫日記」の作者です。
記事の中で宮澤賢治の詩「眼にて云ふ」を紹介してくれています。
 「だめでせう とまりませんな ゆうべからねむらず血も出つづけなもんですから・・・」という書き出しです。ところが、その詩の最期はこうです。「あなた方から見たらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが わたくしから見えるのは やっぱりきれいな青ぞらと すきとほった風ばかりです」
これを読んで、腑に落ちた。死を「いやなもの」「きたないもの」と見なしているのは周りの人であって、死にゆく人が見ている景色は違うんだ、と。死は忌み嫌うものではない。納棺夫は、透き通った風のように死の世界へ行く人のお手伝い。そう確信したら、死者に優しくなれました。
東日本大震災のあと、宮城県の被災者の方々の前でお話しする機会がありました。そのとき「眼にて云ふ」を朗読したんです。みなさん、亡くなった人たちに「寒かっただろう」「痛かっただろう」との思いが胸につかえておいでです。こうお伝えしました。
「亡くなるときは、きっと青空を見ておられたのですよ。そして『いままで、ありがとう』と言いながら逝かれた。そう信じていますよ。」そしたら、一番前にいたおばあちゃんが「やっと、こころが救われました」と話かけてこられた。うれしかったです。
 現代はやれ高度医療だ、延命措置だと「生」にのみ価値を置く。ところが、賢治の視点は生と死の間を自在に行き来します。例えば妹との別れを読んだ「永訣の朝」も死の現場から生まれた美しい詩です。死を直視しようとしない時代だからこそ、賢治のまなざしが輝いて見えるのだと思います。

納棺夫日記 増補改訂版 (文春文庫)

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この記事を読んで、萩尾望都が震災と原発事故に触発されて発表した短編集「なのはな」に収録されている「なのはな 幻想『銀河鉄道の夜』」を思い出しました。空をゆく巨大な仏さまが《なあんにも こわいことは ないぞう》と語っているシーンです。仏さまは素足と施無畏与願印を結んだ両手と蓮の花と風で表現されています。その部分は宮澤賢治の「ひかりの素足」のイメージを参考にしているそうです。

なのはな (フラワーコミックススペシャル)

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宮澤賢治萩尾望都も感受性が鋭敏なので、常人には見えないようなすごく深いものを身体全体で感得してしまうのでしょうね。

萩尾望都さんの第12回Sense of Gender賞 生涯功労賞(2012年度)を受賞された際の談話が面白かったので、貼り付けておきます。
http://gender-sf.org/sog/2012/4091791352.html

世田谷文学館で開催中の『没後80年 宮澤賢治・詩と絵の宇宙 雨ニモ負ケズの心』展のチケットをいただいたので、行くのが楽しみです。

写真は我が家の天上の青(西洋アサガオ)先週からやっと咲きはじめました。