看取り先生の遺言

落語の『死神』で言えば、枕元に死神が立っている方の患者さんに医療行為を続けることが、苦痛を増し、安らかな死を遠ざけているのではないかという指摘に共感しました。看取り先生である岡部健医師は『人間、死ぬも生きるも自然現象で、医者が口出しすべきことではない』『即身仏のようにやればいいんだ。五穀を断ち、十穀を断ち、水を切っていけば楽に死んでいける』と言っていたそうです。ネイティブアメリカンの《今日は死ぬのにとてもいい日》という考え方にも通じる気がしました。

「今日は死ぬのにとてもいい日だ」

生きているものすべてが、わたしと調和している
すべての声が、わたしと歌をうたっている
すべての美が、わたしの目の中で休もうとして来る
すべての悪い考えは、立ち去っていった

今日は死ぬのにとてもいい日だ
わたしの大地は、わたしを穏やかに取り囲んでいる
畑には、最後の鍬を入れてしまった
わたしの家は、笑い声に満ちている
家に子供たちが帰ってきた
うん。今日は死ぬのにとてもいい日だ

(プエブロ・インディアンの古老の言葉)
在宅医療はチームプレイであって、スタープレイヤーが活躍する舞台ではないのであるという文章もありました。ちょっと抜き書きします。

ときどきテレビなんかに、緩和ケアのプロのような人物が登場するが、あれは絶対にやってはいけないことなのだ。なぜなら、そのプロフェッショナルが持つ知識や技術は垂直方向にも水平方向にも広がらず、その人物がいなくなった途端に地域の緩和医療が崩壊してしまうからである。どんな医者がやっても、常に70点以上を維持できるチームケアに徹するべきなのだ。 その際、大事なことは、患者さんから教わるということである。患者さんから教わる中で、自分たちの持っている技術でちょっとサポートさせてもらう。在宅医療とはそういうことなのだ。そのことを頭に入れておけば、それほど大きな間違いはしないはずである。
あの世からのお迎えのこと、東日本大震災被災地の幽霊のこと・・・日本人の死生観と宗教観・・色々と考えさせられる本でした。