失敗談より 外山滋比古 

失敗談

失敗談

とても面白かったです。特に旧制中学時代の恩師について書いた文章には感動しました。心から尊敬できる先生との出会いが教職を志す契機になったそうです。その先生は外山さんが寄宿舎の同室の仲間と畑から盗んだイモで焼き芋し、(しかも火をつけたまま放置していた)危うく退学になるところを「寄宿生のことは舎監の私が決めます。」と言って救ってくれたのだそうです。

心に残る文章は沢山あるのですが、子どもに関するものを少し書きぬきします。

 赤ん坊ははじめまったく歩けないのに、歩きはじめると、すぐ上達する。教わらなくても歩けるようになる。不思議なくらいである。やはり、転ぶからであろう。転ばないで歩けるようになるこどもはいない。歩くより転ぶ方が先である。転んで歩き出し、転んで歩く、そういう練習をして、ごく短い間に歩けるようになるのである。
 ひところ、転んではかわいそうだという親が、ベビー・ウォーカー(歩行器)というものを流行させた。これに入れておけば転びたくても転べない、これはよいものだと喜んでいるひとたちがすくなくなかった。考えてみるとたいへん、危険なことをしていたものである。赤ん坊は転んで転んで歩けるようになるのが正常である。転ばずに歩けるようになるのは自然の理(ことわり)に反していることになる。年をとって大転倒、大骨折する確率は大きく高まる。
 赤ちゃんはみんな丸々としている。だてに肥っているわけではない。歩きだすのに転ばなくてはならないが、肉づきがよくないと骨をいためたりする心配がある。痛さも大きいに違いない。それではかわいそうだというので、肉づきをよくして、クッションにするのは天の配剤である。小ざかしい知恵で、それを無にするようなことがあれば、それなりのシッペがえしを受ける覚悟が必要である。
             中略
人間、転ばぬようにするのは難しいが、怪我の予防には転び方を身につけるのがもっとも有効な対策である。パラドックスでもなんでもないが、知的な勉強をしてえらくなったように思っている現代の人間は、転ばぬ先に転びになれる方が現実的であるのがよく呑みこめないらしい。
 浮き世である。転ばぬ先の杖などあるわけがない。転ばぬ先に転んでみなくてはいけないのである。


子どもが失敗をして、自ら学ぶチャンスをよけいなお節介で奪っていないかな?と反省させられました。