大槌町に行きました その3


最終日に理事長先生が釜石駅まで送りがてら、町内を案内してくださいました。町役場や本園舎の被災現場にもお連れ下さいました。
上の写真はひょっこりひょうたん島のモデルと言われている蓬莱島です。灯台が壊れてしまったので、新しいデザインを公募しているそうです。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111008-OYT1T00595.htm

大槌町役場です。時計が津波が到達した時刻で止まっています。理事長先生の弟さんはここで犠牲になられたそうです。ご冥福をお祈りします。

民宿の上に載っていた船は余震のたびに動いて危険なので撤去されたそうです。けれども、まだまだ船が何艘も陸に打ちあげられていました。

本園舎の床下にはまだ水がたまっていました。

園の駐車場に近所のお宅が流されてきて、ここで止まったそうです。
トイレはちぎれて、少し離れた場所に着地しています。

吉里吉里浪板海岸にも案内していただきました。


「浪板の松は陸前高田の松より丈夫みたいですよ。」と理事長先生がおっしゃいました。杉と桜は塩分に弱かったそうです。山のふもと近くでは茶色く変色した杉が津波到達点のバロメーターのようになっていました。

大槌の城山公園では、中腹に立つお寺に避難した方々は犠牲になり、入りきれずに城山まで登った方々が助かったという話を伺いました。車で避難した方も国道を選んだ方は犠牲になり、二日前に開通したばかりの道路を選んだ方は助かったそうです。お話しを伺いながら、ずっと心の中で手を合わせていました。
理事長先生がこの震災で何よりも感じたのは《人の素晴らしさ。絆の大切さ》だそうです。大渋滞していた道路でクラクションを鳴らして、子どもたちと散歩車をいち早く山側に渡らせてくれた人たちの話や夜子どもたちのために赤々とストーブを焚いてくれた人たちの話を聞いて、「まずは子どもを守りたい」という思いは人間が本質的に持っている崇高さなんだと胸がいっぱいになりました。

釜石の製鉄所のすぐそばに鹿がいました。びっくり!
小さいのですが、画面中央に茶色い頭と耳が見えますか?
もう釜石駅も近くです。

お忙しい中、理事長先生本当にありがとうございました。

シープラザ釜石にマンガ家の色紙コピーが展示してありました。

秋から冬へ向けて、一層継続的な支援が必要だと強く感じました。子どもたちが一日何回も昇り降りする鉄製の外階段が冷えて凍りつく日もすぐに来てしまうと思うと心配です。

今回の交通費はユニセフが負担して下さいました。宿泊も食材もすべて用意していただき、保育士会会長と事務局のダブルH先生にはきめ細かいフォローをいただきました。このような機会をいただきありがとうございました。
大槌保育園の理事長先生、園長先生、先生方、子どもたちにはお世話になり通しでした。本当にありがとうございました。

沢山のすてきな方々とかかわりあうことが出来て幸せでした。
何気ない日常の大切さを痛感した3日間でした。
休みをフォローしてくれた職場の仲間たちや家族にも感謝、感謝です。