沢知恵 塔和子をうたう



西武線に乗るたびに、車内広告が気になっていた《国立ハンセン病資料館》に初めて行ってきました。目的は沢知恵さんのピアノ弾き語りコンサートです。
西武新宿線の久米川から清瀬駅南口行きのバスに乗りました。パンフレットには《ハンセン病資料館》という停留所で降りるように書いてあったのですが、そそっかしい私は《全生園前》でさっさと降りてしまいました。正門から園内に入ってみたものの、ハンセン病資料館の看板はどこにも見当たりません。自転車で通りかかった女の子二人組に聞いてみたら、「たぶん反対側ですよ〜。」という答え。結局正門に引き返して多磨全生園の案内図をじっくり見直し、納骨堂の先ということがわかって再度雨の中を歩きだしました。
園内はとても静か。緑豊かで通路は広く、平屋の棟割り長屋が整然と並んでいる様子は私の育った日立市日立製作所)や大町市昭和電工東洋紡)の社宅街を思い出させました。行ったことはありませんが、炭鉱の町もこんな感じだったのではないでしょうか?中に郵便局や購買所、共同浴場があるところも似ています。でも、決定的に違うのはここに住んでいた人たちには長い長い間外に出る自由がなかったこと。その重さを感じながら歩きました。ひとつ手前の停留所で降りてしまって本当に良かった!失敗もまた良しと思いました。

最初の曲はアカペラで『アメージンググレース』。二曲目は『わたしが一番きれいだったとき』でした。今日のピアノは雨でにじんだような音だなぁと思っていたら、会場は映像ホールなのでピアノはなく、普段ほとんど弾かれていないピアノを自治会の人たちが探して運んできてくれたのだそうです。沢さんに弾いてもらえて、大勢のお客さんに聴いてもらえてピアノもさぞかしうれしかったことでしょう。
はじめて聴いた『胸の泉に』、大好きな『こころ』『死んだ男の残したものは』『一本の鉛筆』・・・・たった一時間とは思えない濃密な時間でした。今日はピアノと歌と同時に息も聴いていたんだなぁと強く感じました。心理学の略語のPsych(サイコ)は語源的にはギリシャ神話のプシュケーと同じで息、生命、心、魂を意味するそうです。
アンコールは文部省唱歌の『故郷(ふるさと)』。大震災以来この曲を聴くとほとんど条件反射的に涙腺がゆるんでしまいます。そしてふるさとに帰ることができなかったハンセン病患者の方々を思わずにはいられませんでした。国歌を『故郷』に変更すれば、いつでも誰もが気持ちよく歌えるのに・・・脱原発と一緒に国民投票してもらいたいものだ・・・なんてことを夢想しました。
 胸の泉に    塔 和子
かかわらなければ
   この愛しさを知るすべはなかった
   この親しさは湧かなかった
   この大らかな依存の安らいは得られなかった
   この甘い思いや
   さびしい思いも知らなかった
人はかかわることからさまざまな思いを知る
   子は親とかかわり
   親は子とかかわることによって
   恋も友情も
   かかわることから始まって
かかわったが故に起こる
幸や不幸を
積み重ねて大きくなり
くり返すことで磨かれ
そして人は
人の間で思いを削り思いをふくらませ
生を綴る
ああ
何億の人がいようとも
かかわらなければ路傍の人
   私の胸の泉に
枯れ葉いちまいも
落としてはくれない


沢さんがMCで「コンサートの後、是非園内を歩いてみてください」と言っていたので、帰りも逆コースで歩いてみました。

ラッキー!とっても美人な三毛さんと遭遇しました。

 一匹の猫  塔 和子
私の中には
一匹の猫がいる
怠惰で高貴で冷やかで
自分の思うようにしか動かない
その気品にみちた華奢な手足を伸ばして
悠然とねそべっている
猫はいつも
しみったれて実生活的な私を
じっと見下ろしているのだ
歩くときも
話をするときも
猫は決して低くなろうとしない
そのしなやかな体で
ちょっと上品なしなを作ると
首を高くあげたまま立ち去るのだ

私は
もっと汚なく
もっと低く
もっと気楽に生きようとするが
私の中の猫は
汚れることをきらい
へつらうことをきらい
馴れ合うことを拒絶し
いつも
気位高く
美しい毛並みをすんなりと光らせて
世にも高貴にねそべっている


西洋シャクナゲの花の中に蜂がいました。
沢さんは金子みすゞの『蜂と神様』も歌っています。

  蜂と神様   金子みすゞ
蜂はお花のなかに
お花はお庭のなかに
お庭は土塀のなかに
土塀は町のなかに
町は日本のなかに
日本は世界のなかに
世界は神様のなかに

そうして そうして 神様は
小ちゃな蜂のなかに


なんじゃもんじゃの木もありました。花の季節にまた訪れたいと思います。

希望よあなたに―塔和子詩選集 (ノア詩文庫)

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