驚くべき学びの世界展

驚くべき学びの世界?レッジョ・エミリアの幼児教育?

驚くべき学びの世界?レッジョ・エミリアの幼児教育?

昨日つれあいとワタリウム美術館の『レッジョ2・驚くべき学びの世界展』に行きました。http://www.watarium.co.jp/exhibition/index.html
ペア券というのがあって、大人一人1000円のところ二人で1600円。ワタリウムはパスポート制を取っているので、期間中このチケットで何回でも入場できます。とても良心的です。でも、受付カウンターの女性がすご〜くそっけなかったので、家に帰ってからつれあいが、「(前回辻村寿三郎展に行った)目黒雅叙園はえらい違いだ・・・」とつぶやいていました(笑)
前回のレッジョ・エミリア展は2001年。今勤務している保育室の立ち上げ準備期間でした。10年前に何人かの同僚と一緒に見に行ったなぁと懐かしく思い出しました。2001年には9/11に貿易センタービルの事件があり、今年は3/11に東日本大震災。保育室が12月で10周年を迎えるのはとてもうれしいのですが、今年も忘れようにも忘れられない年になってしまいました。長男が生まれてから約2週間後に日航ジャンボ機墜落事故があり、長女が幼稚園を卒園した日はまさに地下鉄サリン事件の日でした。数字に極端に弱い私もこれらの事件の日付だけは忘れられません。
レッジョ2展は展示の仕方がとても面白かったです。狭いコーナーを作ったり、迷路っぽい空間を作って、観客の中の子どもごころを環境で引き出そうとしている感じ。ただ、子どもたちの作品に触れないのは仕方がないけれど、せめて黒と白の素材を楽しむテーブルはレプリカを用意して、自由に触れるようにしてほしかったなぁ。各プロジェクトを紹介しているビデオが面白そうでしたが、全部は見きれなかったので、また行きたいと思っています。
レッジョ・エミリア市の幼児教育を受けて成長した大人たちの生の声を聞きたいと思いました。すばらしいアート教育の側面に目が奪われますが、根底にある思想は、自分で考えて行動できる市民を育てることなのだそうです。ムッソリーニの独裁を許し、枢軸国側についた歴史への反省もあるのかもしれません。


《でも、百はある。》

子どもには
百とおりある。
子どもには
百のことば
百の手
百の考え
百の考え方
遊び方や話し方
百いつでも百の
聞き方
驚き方、愛し方
歌ったり、理解するのに
百の喜び
発見するのに
百の世界
発明するのに
百の世界
夢見るのに
百の世界がある。
子どもには
百のことばがある
(それからもっともっともっと)
けれど九十九は奪われる。
学校や文化が
頭とからだをバラバラにする。
そして子どもにいう
手を使わずに考えなさい
頭を使わずにやりなさい
話さずに聞きなさい
ふざけずに理解しなさい
愛したり驚いたりは
復活祭とクリスマスだけ。
そして子どもにいう
目の前にある世界を発見しなさい
そして百のうち
九十九を奪ってしまう。
そして子どもにいう
遊びと仕事
現実と空想
科学と想像
空と大地
道理と夢は
一緒にはならない
ものだと。

つまり
百なんかないという。
子どもはいう
でも、百はある。


ローリス・マラグッツィ
田辺敬子訳

レッジョ・エミリアの実践の中心にいた指導者マラグッツィの詩です。
好むと好まざるにかかわらず、九十九を奪う側に立つ大人として、子どもの中の何を守らなければならないのかを真剣に見定めていきたいと思います。

子どもたちの100の言葉―イタリア/レッジョ・エミリア市の幼児教育実践記録

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