風のなかで むしのいのち くさのいのち もののいのち を観て

 この映画は2009年早春、卒園間近の子どもたちの1カ月を淡々と描いたドキュメンタリーです。映画の舞台で企画・製作者でもある中瀬幼稚園は東京都杉並区の住宅街にあります。
成人した二人の子どもがこの園にお世話になったので、私も6年間送迎のため毎日通いました。私は長野県出身で、時に住宅密集地での生活に息詰まる思いをしていたので、園を守るようにして立つ欅の梢を渡る風にとてもなぐさめられました。保護者会では毎回、園長の井口佳子先生が保育中に撮影したスライド写真を見せて下さいました。子どもの視線、手、ふくらはぎの筋肉、足の指の一本一本までがいかに子どもの内面を雄弁に語っているかを教えていただく中で、私は子どもが育つ場所に立ち会うことの面白さに目覚めました。その経験が土台になって、後年、保育士試験を受験。門外漢が曲りなりにも保育士になれたというわけです。
 今年2月、映画の中にも登場する『生活と表現展』にお邪魔した時、園長の佳子先生と言葉を交わしました。昨年の夏、『建築がみる夢 石山修武と12の物語展』(世田谷美術館)で石山氏と中瀬幼稚園のコラボレーション《お母さんと子供たちの天の川計画》を見てきたので、「まるで、レッジョ・エミリアみたいですね。」と感想を述べると、「それだけじゃないの。ここには生活があるのよ。」と佳子先生は静かに答えてくれました。映画を見て、その言葉の真意がわかりました。
 耐震工事をする大工さんの横で床下にもぐり、材木を運び、解体工事に参加する子ども達の生き生きとした顔。焚火用の炉を修理する時の真剣なやりとり。花の苗が踏まれないようにロープを張る時の慎重な手つき。口八丁手八丁のリーダー格の男の子に向かって「おまえの言い方がきついんだよ!」とボヤきながらも、協力しあっている姿の清々しさ。そこには先生、大工さん、お母さん達・・・大勢の大人が居合わせているのですが、大人の指示は全然聞こえてきません。私たちは効率と安全を優先して、日本の子どもたちの手からどれほど『生活』を奪ってきたのだろうか?発展途上国と呼ばれる国々の子どもたちの瞳の輝きの秘密は『ひとりの生活者たる自信』に裏付けられているのではないか?という疑問に捉えられました。
風            C.G. ロセッティー  訳詩 西條八十
誰が風を 見たでしょう  僕もあなたも 見やしない
けれど木(こ)の葉を ふるわせて   風は 通りぬけてゆく
誰が風を 見たでしょう   あなたも僕も 見やしない
けれど樹立(こだち)が 頭をさげて  風は 通りすぎてゆく

 風は目に見えないけれども、通りすぎてゆく。命そのものは目に見えないけれども、そこかしこにある。男の子たちが、大きな洞(うろ)のある枯れた木の幹が生きているかどうか問答しているシーンがあります。生命と非生命の間にあるもの。5歳児が哲学的な命題であるとともに、最先端の生物学のテーマでもあることを真剣に話し合っているのです。「1ヵ月という短い撮影期間にもかかわらず、よくぞこの瞬間を残してくれました。」という感謝の気持ちが湧く場面です。雨が雪に変わる瞬間。園庭を走り抜けるつむじ風。水栽培のピンクと紫のヒヤシンスをボクにとってはこれしかないという絶妙な間隔に配置して、満足気に笑う男の子。数々の素敵な子ども達の世界をたぶんひっそりと気配を消して撮影し、観る側の感性を信じて余分な説明なしで編集して下さった制作スタッフに敬意を感じました。風は見えないけれども、木の葉の動きで通りぬけたことがわかるように、子どもの心も見ることはできないけれども、その行動と言葉で伺い知ることができること。かたわらで注意深くしていれば、子どもの豊饒な世界を見落とさないですむことをこの映画は伝えてくれているような気がします。
 上映会の数日前に朝日新聞におもちゃデザイナーの和久洋三氏のインタビュー記事が掲載されていました。この映画と通じるものを感じたので、そのまま引用します。
例えば何もない部屋に子どもだけおいて「はい、遊びなさい」といっても楽しくない。ある程度、材料を整え、子どもが遊びやすい環境を作る。そうすると、子どもたちは「秩序」を見いだすんだ。子どもたちは遊んでいるうち、「これはこう並べるの」「○○ちゃんはこっち」なんて言い出す。「秩序」の本質は、上から押しつけられるものじゃない。より公平に「自由」を得るためのもの。人間はみな「秩序」を発見する欲求を持っているし、「秩序」から「自由」が生まれる。
 思えば下の娘が5歳児だった冬、阪神淡路大震災が起こり、佳子先生は「卒園記念品を贈ってくださるなら、苗木にして下さい。」とリクエストされたのでした。「あら?こんな園庭の真ん中に記念樹を植えてくれるのね〜」と不思議に思ったあの頃から15年近い歳月が流れ、園庭は緑と築山と木道が園舎に向かって子ども達をいざなうような変化のある姿に変わりました。一方、毎朝猫のカルと佳子先生が出迎えてくれたなつかしい園門やピアノ、小箪笥や園児の椅子は大切に使いこまれ、青桐のロープは相変わらず大人気です。ちなみに青桐の木は第1回の卒園記念樹だそうです。「子どもたちが過ごす場所には花園と工事現場が必要」と語る佳子先生は毎年毎年どこかしら園舎や樹木や園庭を手練の職人さんを招いて、手入れし続けています。これからも、子どもたちは職人さん達の技をしっかりと見つめ、少しずつ手伝わせてもらっていることでしょう。子どもにとって真に大切なものを考えるヒントになる映画だと思います。
映画の公式HPは http://www.kazenonakade.com/ です。