蒼蠅

ようやく読み終わりました。やっぱり好きです。熊谷守一
メリヤス肌着のゴム編み部分やイヤだったり、画壇での世俗的な地位に全然興味がなかったり、晩年自宅からほとんど一歩も出なくても満足していたり・・・アスペルガーっぽさ全開な飄々とした感じが最高。

二女の熊谷榧さんが書いた巻末の《熊谷守一 もの語り年譜》が生き生きした文章で面白かったです。榧さんはお父さんのことをモリと呼んでいます。
中でも傑作だなぁと思った部分を抜書き
 赤ん坊のときは「神様のようだ。」とかわいがるモリだが、子どもが少し大きくなって物心がつくと気に入らないことが多く、「子どもは押しつけられた友達みたいなものだ。」と話していたという。子どもにとって親こそ押しつけられた友達ではないか。



絵の嫌いな兄や姉と違って、私は子どもの頃から絵が好きだったが、モリはいつも、「カヤは小学校へ行く前まではよい絵を描いたが、小学校に行ってから駄目になった。」といわれている。



絵かきも従軍画家として戦争画を描かされたが、わけて派手に表立っていた藤田嗣治などは戦争画を描きまくり、戦後批判された。モリは彼をかばっていう。
「おれは目立たなかったからそれですんだが、藤田は目立ったから戦争画を描かないわけにいかなかった。」
モリはいつも自分のいやな事、不愉快な目にあわないように、万事消極的に物事を避けて過ごしてきた。そんなモリにも、1940年の紀元2600年奉祝美術展に出した「畝傍山」という妙ちきりんな鳥居のある絵をおぼえている。



終戦の年1945年熊谷守一は65歳。亡くなられたのは1977年。享年97歳でした。