『窓ぎわのトットちゃん』朗読と対談の集い

窓ぎわのトットちゃん (講談社文庫)

窓ぎわのトットちゃん (講談社文庫)

今日は講談社本館6階講堂で、黒柳徹子さんと山田洋次監督の対談を聴いてきました。聞き手は東京と安曇野ちひろ美術館を設計した内藤廣さん。
2016年に安曇野ちひろ美術館トットちゃんの広場が誕生するそうです。長野電鉄の大正15年と昭和2年に製造されたレトロ車両を今年の秋に運んできて、トモエ学園の「電車の教室」を再現するそうですよ。
また、今年7月には絵本版の『窓ぎわのトットちゃん 1・2巻セット』が刊行予定。累計796万部のベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』を低学年向き絵本に再編集し、イラストは原作の約4倍の量となるそうです。
対談は約1時間だったのですが、およそ96%をしゃべり倒していたのは、深紅の上着と深紅のフワフワ髪飾りが良くお似合いのトットちゃんでした。
戦時中に先に疎開していたお母さんの待つ青森に汽車でたどりついた時、「落ちる人が死んでから・・・」というアナウンスを聞いて、「とんでもないところに来ちゃった!」と青くなったけど、良く聞いたら、「降りる人が済んでから・・・」だった話には大笑いしました。
自由が丘のピーコックの敷地内にトモエ学園の石碑を建立できることになったいきさつも抱腹絶倒でした。トモエ学園の跡地に出来たピーコックの駐車場でノスタルジーに浸っていた黒柳徹子さんに駐車場の警備員さんが「満車だから、さっさと出て行って」みたいな事を言ったことを文章に書いたら、たまたま親会社の大丸の社長の娘がそれを読み父親にご注進。「けしからん」となったそうです。ピーコック自由が丘店の幹部があわててアポを取り、『徹子の部屋』の打ち合わせ前に白い箱を手土産に飛んできました。てっきり、スタッフみんなで食べられるケーキの類と思って、箱を開けたら、中身は肉の味噌漬け。「何考えてるのかしら?ダメよね〜」とセンスのなさを繰り返し指摘。
そんなこんなでお詫びの印にバブル真っ盛りの時代にピーコックの敷地内に石碑を建てるスペースまで提供されたのだそうです。落成式では卒業生の黒柳徹子さん・谷桃子さん・淡路恵子さんが序幕の役を担ったのに、酔っ払いのおじさんが「ワシにも、紐を引かせてくれ」と乱入してきたので、「あなたはトモエの子?」とトットちゃんが厳しく問い詰めて撃退した話も出ました。
数々のエピソードに大笑いしつつも、通学途中の大岡山駅のホームにあったキャラメルの自動販売機から、戦況悪化でキャラメルがなくなってもひょっとしたらひと箱くらい出てくるかも?と思って毎日毎日叩いてみたこと。疎開先で栄養失調になり、体中おできだらけだった上に、指先はヒョウソになって、ジンジン痛かったこと。お母さんが八戸まで行って魚を買ってきてくれて、食べたらすぐに治ったこと。そんな具体的な食べ物の話を通して、戦争の理不尽さ、巻き込まれる子どもの悲しみが静かに伝わってきました。

午後4時から仕事だったので、対談の終了と同時に失礼ながら、会場を飛び出し、レトロな階段(講談社本館は昭和9年竣工だそうです)を軽快に降り、廊下を玄関に向かって歩き出すと、スッとエレベーターが開いて、中から黒柳徹子さんご一行が出てきました。びっくり!

朝先生が黒板にやることを全部書きだして、好きなものから取り組んで行くという教育はフレネ教育と通じるものがあるみたいと思いました。
また、小学1年生で退学させられたトットちゃんの行動は注意欠陥多動性症候群の例に挙げられることがありますが、そんな個性をすくすく伸ばして、こんなかっこいい女性に育つなら、やはり、角を矯めて牛を殺すより、褒めて認めて伸ばした方が良いのではないかなぁと思いました。
ひとりひとりの個性をお題目じゃなく、本当に大切にすること。。。考えさせられました。