90ミニッツ


11日(日)にパルコ劇場で観てきました。今年はパルコ劇場で、年頭に志の輔落語、年末に三谷幸喜50周年大感謝祭の掉尾を飾る人気芝居をみることができました\(^o^)/
さて、このお芝居、形式の枠内でキレの良い脚本を書くのが好きな三谷さんの面目躍如。劇中の時間経過と現実の時間がシンクロしている『真昼の決闘』形式です。場所は大学病院の副部長の部屋のみ。舞台正面には交通事故にあって、死に瀕している少年の血液と命の残り時間を象徴するかのような水が一筋流れ落ち続けていました。
地方から父(近藤芳正)と一緒に上京していて、バイクにはねられ怪我をした少年は輸血を伴う手術を受ければ助かるのは確実。なのに、病院に駆けつけて来たた父親は宗教上の理由から手術の同意書にサインをしてくれない。整形外科部長はたまたまゴルフで留守だったので、父親を説得する役回りはつつがなく役目を果たしていれば、部長に昇進できそうな副部長(西村雅彦)に。
背もたれと肘掛のある副部長の立派な椅子とデスクを隔てて、不自然なほど遠くに置かれた簡素な二人掛けソファー。この病院の医者と患者や患者家族の関係を視覚化しているのでしょう。でも、輸血をめぐって副部長と父親がくるくると攻守を変えて論戦している時、二人の位置取りも自在に変わっていきます。そんなところも面白かったです。
本音では輸血を受けさせて息子を救いたいが、宗教的禁忌を犯す判断を下した張本人にはなりたくない恐妻家の父。同意書なしで手術を強行して、訴えられ、キャリアに傷がつくのを恐れる副部長。責任を負いたくないという意味では、とても卑近なたとえですが、PTA役員の押し付け合いに似たものがあるな・・・と思いました。もし、もう少し父親の到着が遅れれば、血液製剤を点滴してしまいましたから輸血と同様です。仕方ないですね。。。輸血しちゃいましょうよ。。。という事態になっていたらよかったのにと言いあっている二人の姿がなんとも日本人。外圧に押されてやむなくという形で物事を決定することが多いお国柄を連想しました。TPPどうなるの・・・?
何を正しいとするのかがオセロにようにひっくり返っていく、頭の中をマッサージされるようなお芝居でした。でも、息子に生きてもらいたいと願っているなら、やはり責任をもつのはお父さんでしょ・・・と私は思いました。近藤さん、西村さんの力演に90分間ずっと緊張していたので、身体がバリバリになりました。
帰宅後「パルコ劇場でお芝居を見て来たよ〜。」とつれあいに報告すると「どんな話?」「男二人だけの緊迫したセリフ劇」「へ〜。『スルース』みたいだね。」
私も『探偵スルース』(ローレンス・オリヴィエマイケル・ケイン版)を見直したいな〜と思っていたので、ちょっとうれしかったです。ジャイアンスネ夫に「わが友よ〜」って時々言ってる、あんな感じ(笑)

写真は帰りにクレヨンハウスで購入した「カプラ」で作った螺旋の塔です。